熱田千華子作品集
東海岸に住む日本女性ブログ
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糸井 恵 2007年8月20日


熱田さんが「ブログ」と題したこのエッセイを発表したのは2003年6月。当時はまだ、アメリカのネット業界で仕事をしていた彼女でさえ、「ブログとは何か」と友人に聞いたほど、ブログは一般に知られていなかった。あれから4年、猫も杓子もブロガーといった状態になっていようとは、彼女も想像だにしなかっただろう。

憶えているのは、その1年後に彼女が、自分でブログを始めることを計画し始めていたことだ。彼女はそれまでにも英語でエッセイを書き、自分のサイトだけでなく、gate39というオンライン雑誌(もう存在しないようだ)で発表してもいた。でもその頃、英語で書くということでは、彼女の興味はエッセイよりも詩に移っていて、身の回りのことを自由に書くには日本語で、と考えていたのかもしれない。彼女は私に、ココログにアカウントを作ったと言っていた。ココログは、2003年末、ニフティが開始した日本初のブログサービス。「東海岸で暮らす日本女性の日常を書くブログってどうかなあ」と話していた。2004年7月のことである。

私の反応は、「ココログって・・・・?ブログって・・・?」。それまでも、職業や趣味の面で、常に彼女のマネをしてきた私は、ネットでブログなるものを調べてみた。確かにおもしろそうだった。既にニフ ティでメールアカウントを持っていたので、ブログのアカウントを作るのも簡単そうだと思い、すぐにブログを始められる体制を整えた。とは言え、すぐに はブログのテーマを決められず、内容は空っぽのままにしておいたのだが。熱田さんのほうも、アカウントは作ったものの、ブログの中身は決めかねていた。

彼女が、「東海岸に住む日本女性のブログ」を始めることなく、亡くなったのはその年の8月20日。それからもう3年たった。

熱田さんが事故で亡くなった直後、日本にいる彼女の元同僚や友人、ボストンでのお葬式や、お別れの会の様子を知らせたり、その後、東京で行った会の連絡をしたりするために、専用のウェブサイトを立ち上げようと思った。そのために使ったのが、彼女からログサービスのことを聞いた私がアカウントをとり、いつでも始められるようにしてあったココログのサービスだった。

あの後、「あっという間にサイトが立ち上がりましたね」と言ってくださる方がいた。早くできたのは、私が、彼女のマネをして準備していたブログサイトをそのまま使ったからだ。今ではそのブログも役割を終え、彼女についての情報は、このサイト(熱田千華子作品集)に集約している。熱田さんのブログを読みたかった。そう思うのは、私だけではないだろう。