熱田千華子作品集
時事通信社『週間時事』1990年2月3日号掲載
病害虫駆除か無農薬栽培か
「農薬を使え」と隣家から訴えられたリンゴ農家
 
北海道の小さな町で、無農薬栽培の是非をめぐる裁判が行われている。「うちのリンゴが病気になったのは、隣がリンゴを無農薬でつくっているからだ」と、リンゴ農家が損害賠償を求めて隣の農家を訴え、訴えられた側は「健康で楽しい農業をやれる自由を」と反論。最近の自然食品や健康ブームの折、「無農薬栽培農家を守れ」と全国の消費者や生産者グループが無農薬栽培の農家を支援するなど、隣家同士のもめごとは大きな広がりを見せそうだ。

裁判の舞台は、後志管内仁木町。札幌からJR函館線で約1時間20分の距離にある人口約4900人の農村地帯。全農家のおよそ半分に当たる200戸がリンゴを栽培している。北海道では隣の余市町とともにリンゴの主生産地だ。

同町東町の農業、Aさん(59)が隣のBさん(39)を相手取り175万円の損害賠償を求めて提訴したのは1989年3月。訴状によると、昨年Aさんの農園では果実や葉に黒緑色の斑点と割れ目ができる「黒星病」が発生し、大量のリンゴを出荷できなかった。この被害は、隣のBさんが黒星病に対し適切な農薬散布を行わず、病気の胞子がAさんの農園に飛び移ったためとしている。

5月10日、札幌地裁小樽支部で開かれた第1回口頭弁論をみると、Aさん側が「被告が原告の被害に責任をもつかどうかに絞って論議を」と求めたのに対し、Bさん側は「黒星病発生の因果関係だけ論じてはこの裁判の意味がなくなる。農薬使用による健康や環境の破壊、現代農業、流通機構のあり方を問う裁判にしたい」と応じ、両者の争点はかみあっていない。

「健康を損なう農薬農業は悲しい」(Bさん)

2人のリンゴ園を尋ねてみた。JR仁木駅から車で5分ほど。同町内の他のリンゴ園とは少し離れた場所にある。双方のリンゴの木はカラマツの防風林を隔てただけで、10メートルも離れていない。

Bさんのリンゴ園にはタンポポやハコベ、クローバーの雑草が生い茂り、3.5ヘクタールの敷地内に、剪定されていないリンゴの木が並ぶ。中には枯れ木や切り倒された切り株も。

「無農薬にしてから土にミミズが帰ってきました」とBさんは無邪気に喜ぶ。

Bさんは高校卒業後農業を始め、リンゴ栽培は今年で18年目。以前は農薬の効果を信じ、年間12回散布していたが、それでもリンゴに病気がでた。また、吐き気や頭痛、イライラなど農薬中毒と思われる症状にも悩まされた。「いくら薄めても毒は毒。農薬を使って体に良いわけがない」と農薬不信から、有機農法や自然農法の研究を始めた。

昭和54年から低農薬栽培に切り替えたが、「農薬をもっとかけなきゃ虫がつく、と不安で不安で。農薬依存体質は変わらず、それならいっそ」と、62年から無農薬栽培に。これで昨年のリンゴ収穫量は農薬使用時より8割も減った。しかし、「土が生まれ変わる10年後には、4割のレベルで収量は安定します」とBさんは楽観的。黒星病などのリンゴは悪い部分を取り、自宅に立てた加工場でジュースやジャムにして自然食品店に卸す。暮らしは、無農薬でも病気になりにくいブドウやブルーベリーで支えている。

Bさんは「無農薬栽培が絶対正しいとは思いません。でも収穫量を上げようと、高い農薬を買い、健康をすり減らす今の農業はとても悲しい。消費者の安善や環境保護も大事だが、われわれ生産者の健康だけを考えても農薬が正しいわけがない」と語る。さらに、「この訴訟への反響で他のリンゴ農家も農薬使用を意識し始めた。これを契機に仁木町が町ぐるみで低農薬に傾けば裁判の意義がある」とも。

「農薬なしにリンゴは育たない」(Aさん)

一方、訴えたAさんの農園には剪定されたリンゴの若木が整然と並んでいる。11年前に購入した2.5ヘクタールのリンゴ園に、赤や白のリンゴのつぼみがふくらむ。Aさんは苦々しげにBさんの農園を見て、「病気になった木をほうっておくなんて信じられん。リンゴがかわいそうで手入れしてやりたくなる」とポツリ。昨年は黒星病の被害を食い止めるため、約60万円かけて一昨年より4回多い11回の農薬散布を行った。しかし、収穫量は6割落ちたという。「隣は農園を放置しているだけで、農業とは呼べない。無農薬でやるなら、それなりに病気を出さない方法があるだろうに、それさえ行っていない」と声を荒げた。

「無農薬加工品」と銘打ったBさんのジュースやジャムを、Aさんは「詐欺商法だ」と攻撃。「昨年3万本の無農薬ジュースを出荷したらしいが、8月に見た時全くリンゴはできていなかった。農薬リンゴも混ぜて絞って“無農薬”のラベルを張っているに違いない」と決めつける。

「防毒マスクやカッパをちゃんと着ければ、農薬は危険ではない。40年以上使っている私がピンピンしている。金がかかる農薬を使わなくていいなら喜んで使わない。しかし日本の風土では農薬なしでリンゴはできない」とAさん。Bさんに対し「何でも好きなことをやっていいが、人に迷惑をかけるな」と訴えた。

イメージダウン懸念する地元農協

日本にリンゴが渡来したのは幕末、米国から。栽培が始まったのは明治になってからと、日本では歴史の浅い作物だ。リンゴは元来低温の乾燥地帯に適しており、多湿な日本の風土では病気になりやすい。このため、農薬がさかんに使われ「リンゴは薬で取る」とさえ言われる。無農薬のリンゴ栽培は青森県で数例あるが、北海道では約1000戸あるリンゴ農家のうち、無農薬はBさんただ1人。

仁木町を管轄する北後志地区農業改良普及所は毎年、各農家に果樹病害虫防除暦を配布。今年度はリンゴの黒星病を防ぐため、サリチオンなどの殺虫剤、殺ダニ剤や消石灰を5月初旬から9月上旬にかけて10回散布するよう指導している。これはナシやブドウなど他の果樹の防除回数に比べかなりの多さだ。

仁木町農協によると、昨年は町内リンゴ園の黒星病被害が例年になくひどかった。春先の天候不順もあったが、やはりBさんの農園も原因の1つとして「町や普及所と一緒に適正な栽培管理を何度もBさんに申し入れたが、聞き入れてもらえなかった」(荒木雅由道農協参事)という。Aさんの提訴と並行し、同農協は改めて同町果樹協会などとともにBさんに農薬散布を文書で要請、組合員の署名も集めている。

荒木参事は「木の剪定や虫を殺すことなど農業をやるうえでの“義務”を求めているだけ。社会生活での常識を守ってくれないと、Aさんだけでなく町全体が食べていけなくなる」と訴える。また、「仁木町では、国が認めた安全基準を守って普通のリンゴ栽培をやっている。この騒ぎで、Bさん以外の仁木のリンゴが農薬漬けのような悪印象を与えるのでは」と不安な表情。

無農薬栽培の情熱に集まる支援

一方、「無農薬栽培が法的に否定されるのは黙認できない。農薬を使うか否かは生産者個々の自由だ」というのがBさん支持者らの言い分。4月には「Bさんを支持する会」が結成され、全国の消費者、生産者からも激励が寄せられている。札幌市内でBさんの無農薬ジュースを扱う自然食品店経営者は「安全な食べ物をつくる試みをつぶさないで」と署名を集め仁木町農協に提出。東京の消費者グループが「訴訟を取り下げろ」と同農協に押しかけたことも。

Bさんを支援する網走管内女満別町の野生生物研究家、小田島護さんは、ニホンザルの研究をしていた時、残留農薬の影響で次々と奇形児が生まれるのを目のあたりにし、農薬の恐ろしさを知った。「農薬が日本に持ち込まれたのは戦後、米国からで、それまでは農薬なしでやっていけたんです」と小田島さん。「この裁判は仁木町内だけの常識を問う問題ではない。全国にいる消費者や土壌環境を考えれば、地球人としての常識が問われるべき大問題です」と熱っぽく語った。  日本有機農業研究会(本部・東京、会員約5000人)の築地文太郎幹事は「果樹の病気は、品種や環境などさまざまな条件の下で感染する。うちのリンゴの病気がすべて隣のせいと単純につなげるのはとても乱暴」と指摘。同幹事によると、無農薬栽培を始めて数年は害虫に悩まされるが、その後害虫を食べる益虫が出て、農薬使用で傷ついた土壌の生態系サイクルが回復するという。

「無農薬栽培への情熱を町ぐるみで見守ってやるべきで、狭い視野で押しつぶすのはひどい」と築地氏は話し、「リンゴの無農薬栽培は、確かに日本では難しい。農薬散布を前提にした美形の甘いリンゴしか品種改良されてこなかったからだ」と嘆く。

問題が大きく広がっていく中、Aさんは「今年も昨年のように病気が出たら食べていけない」と悲壮な顔。隣のリンゴ園を気にしながら、開花し始めたリンゴの手入れに忙しい。一方、Bさんは「ウチの農園内では虫けら1匹にも悪いことをしていない」と、タンポポが咲き乱れるリンゴ園に腰を下ろしニコニコ顔。裁判の判決がどう出ようと、隣家同氏の和解のきっかけには遠そうだ。

(熱田千華子・札幌支社)



(時事通信社『週間時事』1990年2月3日号掲載。なお、原文はAさん、Bさんとも実名で掲載されていますが、裁判から年月が経っているため、当サイト管理者の判断で匿名にしました)