熱田千華子作品集
新聞記事

「世界中を旅していろんな人と話してみたい。人生は短い。が、私自身と人間愛だけは見失わずに生きてみせる」

1987年4月、熱田千華子さんは時事通信の社内報にこう記し、記者としての第一歩を踏み出しました。ここでは彼女が日本で活躍していた87年から96年にかけて執筆した記事をご紹介します。

  • 病害虫駆除か無農薬栽培か―「農薬を使え」と隣家から訴えられたリンゴ農家
    「うちのリンゴが病気になったのは、隣がリンゴを無農薬でつくっているからだ」と……続きを読む

  • 南アで豪華旅行
    プレトリアの駅舎をゆっくりと出発した青い車体。「ブルートレイン」の清潔なコンパートメントの窓から……続きを読む

  • 直観か付随条件か
    上野警察署記者クラブの仕事は伝統的に“パンダ番”。今年もホアンホアンのおめでた騒ぎで……続きを読む