熱田千華子作品集
時事通信社 世界週報 2002年9月3日号
第32回: ボストン美術館
from Ako  to Ako 
“A transformation of he MFA; enhancing the cultural identity of Boston, the community, and the art world.”
「ボストン美術館の変容;ボストンの、コミュニティーの、そしてアート世界の文化的アイデンティティーを高めるために」


私が住むボストンの名所といえば、数多くある。今年を最後にヨーロッパに去ってしまったが、小沢征爾氏が長年率いたボストン交響楽団、世界に冠たる学府ハーバード大やマサチューセッツ工科大、アメリカ独立の歴史がたどれるフリーダムトレイルなどなど。だがダントツ人気はボストン美術館だろう。ルーブル、エルミタージュ、メトロポリタンと並ぶ世界4大美術館の1つで、いつ行っても大変な混雑ぶりだ。

ボストン美術館には付属の美術学校がある。一般人を対象に面白いクラスがたくさん用意されているので、この夏仕事の後にせっせと通った。クラスを取ると学生証が発行され、それを提示すると美術館に入りたい放題。同美術館の入場券は15ドルをかなり高いし、偉大なアーティストの作品を生の教材として使えるのは、美術に関心のある者には最高の環境と言える。

私が取ったクラスで宿題が出た。先生のエディスさんいわく、「美術館に行って、(1)好きな作品 (2)嫌いな作品 (3)理解できない作品 (4)自分が作ることができたらと思う作品――を選び、写真に撮るかスケッチしてクラスに持ってくるように」。なんて面白い宿題だろう。

しかし、その週、私は仕事が立て込み、美術館でぶらつく時間を全く捻出できなかった。仕方がない。苦肉の策として、同美術館のウェブサイトに行くしかない。美術作品を写真で、それもウェブサイトに載るような質の写真で見るのは許し難いことである。しかし、私は忙しいのだ。宿題をやらないよりましだと思う。

同サイトのトップページには、10月まで展示中のモダンアート特別展のページや、美術館の改装プランページへのリンクがある。改装ページの見出しにはこうあった。 A transformation of the MFA; enhancing the cultural identity of Boston, the community, and the art world.

「ボストン美術館の変容;ボストンの、コミュニティーの、そしてアート世界の文化的アイデンティティーを高めるために」。こんな文句を読んでいるだけで、世界のアートシーンとつながった非常に洗練された人間のような気になる。誰でも取れるクラスを受講しているだけなのだが。

サイトにはコレクションへのガイドのセクションがある。膨大なコレクションを9部門に分け、代表的な作品の写真と説明を展示している。例えば、European Art to 1900 「1900年までのヨーロッパ美術」セクションをクリック。1ページに12枚ほど小さな作品写真があり、写真をクリックすると説明文のページへ。このセクションには同美術館の目玉である印象派の名作が紹介されている。有名なモネの作品「ラ・ジャポネーズ」をクリック。

Claude Monet French, La Japonaise, 1876 Oil on canvas 「クロード・モネ フランス、ラ・ジャポネーズ 1876年 キャンバス地に油彩」と作品説明があった後、解説が。

The quintessential Impressionist landscape painter, Monet executed only a handful of major figure paintings. This lifesize portrait, a great success at the second Impressionist exhibition in 1876, is a virtuoso display of color and texture as well as a witty comment on the current enthusiasm; which Monet shared; for all things Japanese. The seemingly coy model is Monet’s wife, Camille, who wears blond wig to emphasize her Western identity and holds a fan with the colors of the French flag. (後略)

「典型的な印象派の風景画家であるモネは、人物画は数えられるほどしか残していない。この作品はその中の一点で、等身大の人物像である、1876年の第2回印象派展で大成功を収めた。巨匠の手による色と風合いの見事な展開であり、さらに、モネ自身もはまっていた当時の日本熱への気の利いたコメンタリーといえる。恥ずかしげに見えるモデルはモネの妻カミーユであり、西洋人としてのアイデンティティーを示すために金髪のかつらをかぶり、フランス国旗の色合いの扇子をかざしている」

このページには、この作品の関連テーマとして「portraits(人物画)」「dressing up(盛装)」を挙げている。人物画をクリックすると、また小さな作品写真が並ぶ。西洋画のセクションから人物画のセクションに飛んだわけだ。この作品群の中には、これまた有名なゴッホの「郵便集配人ルーラン」がある。作品解説を見る。

(前略)In 1888 he went south to Arles, where he made six portraits of the local postman, Joseph Roulin. Wanting to “paint the postman as I feel him,” he rendered the figure in intense, brilliant color, the forms; notably the hands; distorted for expressive effect. The artist described his subject as “a man who is either embittered, nor sad nor perfect, nor happy, nor always irreproachably right. But such a good soul and so wise and so full of feeling and so trustful.” 「1888年ゴッホはフランス南部アルルへ行く。そこで地元の郵便集配人ジョセフ・ルーランの6枚の肖像画を仕上げた。『この郵便集配人を感じるままに描く』ことを狙ったゴッホは、強く鮮やかな色で仕上げ、フォーム(特に手)を変形させ効果的な表現を目指した。ゴッホは題材について言った。『彼は惨めでもなく、悲しくもなく、完璧でもなく、幸せでもなく、落ち度がなく正しいというわけでもない。しかし、生命感にあふれ、賢く、感情に満ちて、信用に値するのだ』」。このサイトをうろうろしているだけで、美術通になれることは間違いなしである。

結局、このサイトから私の好きなホーマーやピカソ、嫌いなシャガールなどをラップトップにダウンロード、クラスに持っていって見せた。エディス先生は、「ラップトップで見せるなんて、モダンでデジタルでいい!」と喜んでいたが、クラスメートは皆、美術館で時間をかけて丁寧に模写した作品を見せていた。自分のお手軽さに、すっかり自己嫌悪に陥ってしまった。

(時事通信社 世界週報連載『熱田千華子のあめりかインターネット暮らし』より)