熱田千華子作品集
1986年、ジョージア州メイコンのオスカー・パーティー
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糸井 恵 2007年2月18日


ハリウッド最大のお祭り、アカデミー賞授賞式が迫っている。今年は、クリント・イーストウッド監督の「日本映画」とも言える「硫黄島からの手紙」が作品賞、監督賞、音声賞、脚本賞…とノミネートされ、さらに、若い女優、菊池凛子が「バベル」で助演女優賞候補になっている。日本でも授賞式の模様が実況中継されるのを、楽しみにしているファンも多いだろう。

アメリカの映画ファンはよく、仲間で集まって一緒に中継を見たり、どの候補者が受賞するか予想したりの「オスカー・パーティー」をする。と、いう様子を、熱田さんが「世界週報」連載のエッセイに書いたのは五年前。彼女自身が、「この三年ほど、オスカーパーティーを主催し」、友達を自宅に招いて受賞者を予想し、チョコレートなどを賭けて楽しんでいたらしい。

私も映画とハリウッドのゴシップが大好きなので、オスカー授賞式を毎年、録画して見ている。初めて授賞式を見たのは1986年、アメリカでだった。当時、ジョージア州メイコンの名門女子大学に留学していた熱田さんを訪ねたとき、滞在中に授賞式があり、彼女の住む寮に学生たちが集まって、オスカー・パーティーを開いていたのである。

もう二十年も前になると思うと気が遠くなるが、私と熱田さんは、同級だった東京の大学から、一年間アメリカに留学した。私はカンザス、熱田さんはジョージアの、いずれも田舎町の大学だった。インターネットもメールも無い時代で、長距離電話をかけるお金もないし(それに、その頃の為替レートは1ドル250円だった!) 、夜遊びをする場所があるわけでもない。暇さえあれば互いにせっせと手紙を書いて近況を報告しあっていた。1986年の初夏に日本に帰国するのだが、その前に、春学期中の三月に一週間の休みが取れた私が、ジョージア州に彼女を訪ねることにした。

お金はないが時間だけはあった学生時代。私はバスの上でも眠れるようにふかふかの枕を持って長距離バスを乗り継ぎ、テキサスのバス停で一泊して二十四時間以上かけてメイコンにたどり着いた。着いたとは言っても、観光地があるわけではなし、することと言ったら、彼女の取っていた写真撮影法の授業にもぐりこんだり、小さなコーヒーショップで夜がふけるまで語り明かしたり、オスカーの受賞者の予想を話し合ったり、だった。

その年、私たちの関心は黒澤明監督の「乱」に集中していた。リア王を下敷きにして戦国時代の家族を描いた名作である。アメリカでも大いに話題で、オスカーの監督賞、美術賞、撮影賞、そして衣装賞にノミネートされていた。熱田さんが住んでいた寮でのオスカー・パーティーの晩、私たちは、「日本応援団」となって、日本人が候補に挙がっている賞が発表されるたびに大騒ぎをした。その中で受賞したのは、衣装賞のワダ・エミひとり。彼女が、壇上に上がる様子がテレビに映し出されると、私と熱田さんは周囲の女子学生たちに促され、ソファから立ち上がって拍手した。誰かが、「何これ?オリンピックじゃあるまいし」と言ったが、かまわなかった。誇らしいような、くすぐったいような気持ちを味わっていたからだ。実に楽しい夜だった。私にとっては、オスカー・パーティーと言えば、このジョージア州メイコンの女子大寮でのパーティーが、最初で最後の経験である。

「乱」で黒澤明が監督賞候補になった年、オスカー作品賞を取ったのは、メリル・ストリープの「愛と哀しみの果て」(原題:Out of Africa)。監督賞もこの映画のシドニー・ポラックだ。他の作品賞候補は「カラー・パープル」、「蜘蛛女のキス」、「女と男の名誉」(原題:Prizzi's Honor)、ハリソン・フォードの「目撃者」(原題:Witness)。このうち、私は、「愛と哀しみの果て」、「蜘蛛女のキス」、「目撃者」の三作品を熱田さんと一緒に映画館で見ている。「女と男の名誉」は、大学卒業後、東京の彼女のアパートに泊まったときにレンタルビデオで見た。まったく、他にすることがなかったのか、というぐらい映画ばかり見ていた。

東京で二人で一緒によく映画館に行ったのはもちろんのこと、東京とボストンにわかれて住んでいたときは、それぞれ同じ映画を見てそのことを語り合って楽しんだ。彼女が一年に一度、日本に帰国すると、東京で、私がボストンを訪ねたときはボストンで、映画館に行ったものだ。

彼女がいなくなって寂しいと感じることはよくあるが、一緒にもう映画を見ることができない、映画の話で盛り上がることもない、と思うと、寂しいというより、不思議な気持ちになる。よく彼女と見た映画のことを考えるが、大作ではなく、その後あまり話題にもならないような、間違ってもオスカーを取ったりしないような、ちょっとした映画のほうが心から離れない。今日は、ロバート・デニーロ演じる賞金稼ぎが、ギャングの金に手を出した税理士を追いかける、ロードムービー風の「ミッドナイト・ラン」という映画を思い出していた。私たちは就職して二年目か三年目。私が日曜日に、銀座のホテルで同僚の結婚式に出席した後、すぐに家に帰る気にならず、彼女を誘って有楽町の映画館に誘ったのだ。見終わって食事しながら、熱田さんが、「ロバート・デニーロって、何かをたくらんでいる時の顔がうまいわよね」と言ったのをよく憶えている。ただ、最後に二人で見た映画がなんだったか、どうしても思い出せないのが不思議なのだ。